決められたレールに乗ることが必ずしも幸せではないと兄から学んだ話。
兄は現在,派遣社員としてとある販売会社の売り上げ一位に君臨している。
以前別の会社で同様に販売をしていた際も,兄の勤めていた店舗は瞬く間に実績を上げた。
同業者の中で兄はとても有名らしい。
電話越しに会話をしながら,下宿前夜に兄とした会話を思い出した。
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兄は昔から頭が良く,県内トップの高校,国立大学にストレートで進学した。
6歳年上で秀才な兄は憧れそのもので,頭の良い大学に進学を志すのは私にとって自然な事だった。そして両親も兄に対して多大なる期待を寄せていた。
しかし大学2年生の時に留年し,それからすぐに休学した。
実家に戻ってきた兄と毎日のように喧嘩をする両親。
兄も,両親も不安定になっていることがはっきりとわかった。
そして兄は大学を辞めた。最後は半ば強引に退学してきたのだという。
両親は絶望し,「もうあの子の人生は終わった」と嘆いていた。
それから期待通りの道を歩めなかった兄を責め,「今度はお前だ」とばかりに私への期待を強めた。
異常な期待と束縛で私は精神を病み,親戚の力を借りて高校生ながら下宿することになった。
下宿を始める前夜。
キッチンで皿を洗っていたところに兄がやってきた。淡々とした様子で
「明日から下宿するんだって?」と私に聞いてきた。
その時,兄は働かずに部屋にこもっていた。実家に帰ってから荒れていたことが嘘のような声で私に話しかけてきた。
「うん,ちょっともう無理かも」
「そうか」
少し沈黙した後,「まあそうだろうな」と言い,続けて
「俺はお前の気持ちわかるよ。何かあったら相談しろ。お前の事嫌いじゃないから」
と私に声をかけた。
子供の頃から喧嘩ばかりで,でも尊敬して憧れていた兄。
いつも荒れていて話しかけることが怖かった。
常に優秀で,挫折を知らず,なんでもそつなくこなす完璧な人のように見えていた。
そんな兄が,私の気持ちを分かると云う。私を心配している。
そこでようやく,兄は無理をしていたのではないか、と感じた。
両親や周りの期待に応えるために,レールに乗り続けようとして疲れたんだと気が付いた。そして兄を疲れさせた要因の一つとして,「完璧な兄を尊敬する私」も含まれていたのだと痛感した。
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それから6年。
偶然働いた場所で販売の才能が開花し,現在に至る。
給料も正社員並みに貰えているらしい。
両親は,兄を「ふらふらしている」「親不孝だ」「お前にいくらかけたと思っている」「他者に対する思いやりがない」と評している。
確かに見る人が見たら,現在の兄は不安定で社会をなめているように思えるのかもしれない。
昔の兄を知っている人からすれば,良い大学を卒業し,エリート街道を歩めたのだと勿体無く思うかもしれない。
でも無理してレールに乗っていた頃の兄より,今の兄の方が幸せに見える。
望んでいない進路の強制を「辛い」「やりたくない」と漏らした私に対し,
「お前のためにやってやってるんだ」「わがまま言うな」と抑圧し続けた両親と
「お前の気持ちが分かる」「何かあったら相談しろ」と寄り添った兄。
他者に対する思いやりを持っているのがどちらなのかは自明だろう。
そして自分の持っている力を自覚し,思う存分発揮して社会の役に立っている。
何が幸せかは結局学校で学ぶものでも,人に定められるものでもない。
また「どうしたら幸せになれるか」という絶対的な道も存在しない。
つい、決まった形に流されがちだけど
自分の頭と心によく聞いて,「自分にとってのベスト」を選びとるのが大事だと兄から学んだ。
過剰な献身の底にあるもの。<実験>
月曜日から、
「相手から頼まれない限りなにもしない。もしくは頼まれてもそれ以上のことをしない」
という実験をしている。
というのも、少し知りたいことがあるからだ。
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つい相手に世話を焼きたくなる。
プリントの提出とか、論文の添削をやったりとか、レポートをあげたりとか。
感謝されることは嬉しいし、人の役に立つことは幸せだけれど
一方で「なぜ私がやらなければならないの」とも思っている。
やっていることもバラバラだけど、一つだけ共通しているのは「全て無償である」ということ。
相手に何かをしてあげることで疲弊して,「もういやだ」となるときもある。
見返りが欲しくてやっているわけではない。でも不当な扱いを受けていて都合よく利用されている気がする。
こうやってキャパシティ以上の働きを相手に与え続ける過剰な献身の底には、「自分を必要としてもらえる嬉しさ」が潜んでいた。
過去、私は優等生だった。
そして学校ではいじめにあっていた。
勉強が好きだったのもあるけれど、一方でそれが唯一生き残っていくことに必要な力だと思っていたから必死で勉強していた。
親は私に興味がなかった。いつも紙の上にある成績や新聞に載る部活動の功績など、「世間様」に自慢できる娘を欲していた。私自身に興味がなかった。
その中で,私自身に価値はなく、能力で存在を示すしかないのだと学んだ。
それでも自分に自信が無くて、能力を低く見ていた。
必要とされたい、好かれたい。その気持ちを叶えるためには能力を差し出すしかないのだと思っていた。
週7日のバイト、成績上位,そして人への過剰な貢献
嫌だと思っていてもやめられない。疲れていてもやめられない。
何かをして相手に貢献している間だけは、自分の存在を許されて肯定されてるように感じていた。
「これだけやっているのだから、生きていることを許してほしい」という気持ちが底にあることを、私は最近になって気が付いた。
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実験を始めたのは、論文の添削をしていた時だった。
google翻訳で適当に訳されたものを、私は、人が読めるように綺麗に直す。
英語を読む労力はあまり大きくない。
でも、文章能力や語学力、専門知識は私が死ぬ思いで手に入れたものだ。
大学に入ってから、やっと本当に自分がやりたい勉強を出来ているのだ。
「得意だから」と頼まれて無償でその労力を提供するのは、能力を安く買い叩く事でしかないのではないか。
過去の努力した自分を冒涜することになるのではないか。
人に好かれたい必要とされたいと思う気持ちから、自分の気持ちに背き過剰に献身をすることは、自分を少しずつ削って差し出すことで誰も幸せにならない。
眼に見えないけれど、積み重なってしまえば大事な物を失ってしまう気がする。
必要とされることは存在を感じることでもある。そして必要としてくれる人を好きになる。
相手に何かを与えた分だけ相手のことをますます好きになる。
それが今までの私の傾向だ。
なにかをしてあげなければ、相手への興味が薄れたり嫌いになったりするのか。
私はそれを知りたい。
クーラーガンガンの部屋にいて水分とってたのに、熱中症になりかけた。
最近炎天下で無理やりスポーツさせるとか、昔はうんたらとかききますが。
クーラーガンガンにきいた部屋にいて水分もとっていたのに、熱中症になりかけた人間もいるので
ほんと訳の分からない根性論やめて欲しいと思います。
その我慢はなんのためにあるんでしょうか。
長くなるんですが、自分が体験した熱中症の話を。
どうにもこうにも集中できなくて、いつもは20時まで残るものを早めに切り上げて大学の研究室を出た。
バスで最寄り駅に向かう最中のこと。
妙に汗が吹き出して、全身痛い。
元々研究室で使っている椅子が低くて腰が痛くなってて、尚且つ生理前風邪に似た症状が出るため、
「予定日から遅れてたけどそろそろかな?」と流暢に構えていた。
しかし、それから1時間後。
頭がぼーっとして、身体が重くなって、何故か汁気があるものが食べたくなった。
いよいよ生理が来るのか、と思ったけれど、
生理前特有の寒気がない。
むしろ暑い。イオンの魚売り場にいるのに。
足を動かす度に脹ら脛と股関節が痛い。
腰も痛い。頭も痛い。
視界が歪む。
「今回のは重いのか…」
と思ったけど、ふと、何故か急に「脱水症状か?」という思考が浮かんだ。
その時点で、大学でジャスミンティー500mlと紅茶花伝(ミルクティー)500mlは飲んでいた。
加えて昼は味噌汁も飲んだし、食堂で水も飲んでいた。
研究室のクーラーはガンガンに効いていたし、
激しいスポーツもしていない。
そんなハズない、と思いつつ、さらにもう1つ思い出したことがあった。
2年ほど前、友人が高校の時、真夏にバスケットをしていたという話を聞いた。
暑かったためにしばしば脱水症状になりかけ、監督からOS-1を飲むよう言われたらしい。
「あれ元気な時飲むとまずいんだけど、あん時はマジ旨いんだよな」。
その言葉を元に、薬局へ飛び込みOS-1を購入した。
買ってすぐ、外で1口含んだ感想は 『 甘じょっぱい』。少なくともまずくはない。むしろ美味しい。
なにより、ほんの二口くらいしか口に含んでないのに、頭痛が消えた。
これはやばいと思い、友人に連絡を取り対処法を教わった。
健康な時にOS-1を飲んだことがないが、友人が言う『 梅みたいな不思議な味。ほんとまずい』には当てはまらなかったので、
自分やばいんだな、と客観的に思った。
家に帰り、水を飲みつつ、保冷剤で太い血管を冷やしたり、トマトの冷製パスタをたべたり(水と一緒に色々買った)、
そうしてるうちに関節痛がきれいさっぱり消えた。
頭の中がクリアになって、だるさが消えた。
最近低い椅子で腰痛になったとか、生理前だから風邪っぽいんだ、とかじゃなくて
本当に脱水症状とか熱中症になりかけてたのか、と思ったら怖くなった。
参考までに。
研究室の状況としては、
・5階
・クーラー効いてる(22度に設定)
・自分のデスクはクーラーに1番近いので、座っている時は羽織がないと寒いくらい
・アセトンや酢酸エチルなどを大量に使い、薬品臭が半端なくする。
・廊下から入ると涼しいと感じる
・人が密集
とまあ、特に珍しくもない普通の環境。
ただ、汗が止まらなくて、頭がぼーっとしていた。
当方、東北出身上京4年目。
「暑いのは自分が慣れていないから」と毎年の如く思っているので、なんの違和感もなかった。
普段と同じくクーラーが直前当たる位置にいたのに、少しも寒くなかった。
ノンカフェインのお茶と、ミルクティーと、お昼は味噌汁も飲んでいた。
後々ネットで調べてみると、
・クーラーガンガンの部屋でも乾燥して脱水症状を起こす事はある。水分はちゃんととっておく。
・熱中症で関節痛を引き起こす場合あり
・頭がぼーっとする、汗が止まらない は熱中症の可能性大
・炎天下でなく室内でも熱中症になりうる
と書かれていて症状に当てはまりまくりだわと思った。
自分自身の格好としては、
・半袖
・七分丈のジーンズ
・白衣着用
白衣があったから余計に熱か篭もったのかもしれない。
まとめですが。
暑いのは夏だから当たり前だと思わず
おかしいと思ったら直ぐに太い血管を冷やしてください。
電気代も無駄とか言わず、ちゃんとクーラーもつけてください。
私は夜寝る際窓を開けるだけでクーラーつけてませんでした。腰痛がするとか、喉が乾いて目が覚めていたとか、最近の不調も脱水症状の表れだった気がします。
病院に運ばれる方が高くつきます。
そしてクーラーつけててもこうなったので、つけなかったら……。
今回病院に行った訳ではなく自己判断によるものですので、皆さんにこの症状が当てはまる訳では無いです。
自分の違和感を大切にしてください。
あと、糖分が身体に良くないとか言わず、ポカリスエットとかアクエリとかを水と一緒にとってください。
太るから、とか糖尿病予防(身内に予備軍がいる)とかで私も避けていましたが、死ぬよりはマシ。
なにより夏過ぎたら飲まなくなる。
今回OS-1を飲んだことを書きましたが、本来こちらは医師の指示で摂取するものなのだそうですね。
OS-1は、普通のスポーツドリンクの塩分2倍、糖分3分の1含まれています。そのため体調により甘さを強く感じたり、逆に塩辛くしか感じなかったりします。
友人は「梅みたいな不思議な味」と評していたので、個人差もあるそうです(大塚製薬さんのホームページにあります)
緊急だったので、次回からは、というか、そもそも必要ないようにきちんと自己管理を行います。
理系学生とはいえ10時間以上大学で研究を行い、
ろくに休めもせず、ましてこの暑さで疲れが溜まっていたので。
もっと自分を大事にして夏を楽しもうと思います。
最後に。
友人にきいた熱中症の対処法をしながら、OS-1も飲みました。
徐々に甘さが消え、塩辛くなっていくのがリアルでした。